宮崎県立図書館 100年のあゆみ
100年のあゆみ(年表) 図書館の移り変わり 総合文化公園と図書館新館建設 近代図書館活動の幕開け 自動車文庫やまびこ号の活動
臨海文庫・農村文庫・PTA母親文庫 図書館焼失と愛の献本運動 現在館の活動と取り組み 近未来のITを活用した県立図書館 トップページ

トップページ近代図書館活動の幕開け文人館長 中村地平
文人館長 中村地平
館長室の中村館長
館長室の中村館長
↑拡大画像を見る↑
 戦争が終わり、世の中が新しい復興をめざし動き始めた頃、図書館界も近代図書館活動の幕開けの時を迎えていた。
 ちょうどそのような時期の昭和22年、県は宮崎市出身の作家中村地平を県立図書館長として招請した。
 中村館長は、就任すると深い知識と旺盛な行動力、幅広い人脈を使って画期的な活動を次々に創出していった。
 日本十進分類法による図書の整理、増改築に伴う文化ホールの新設、臨海文庫・農村文庫などの貸出文庫や自動車文庫“やまびこ”の開設、参考係の新設など、現在の図書館サービスの基礎となっている事業は数多い。文化ホール新設後は、文化センターとして、映画会やレコードコンサートなどの文化活動もこの時代に始まった。
 また、敗戦にうちひしがれている人々の心を少しでも癒すために、「花と絵の図書館」づくりに力を注いだ。
 館内に花を飾り、館の周囲に植木や草花の苗を植え、そして大正画壇で活躍した児島虎次郎の大作や郷土出身の塩月桃甫、瑛九らの絵を飾り、閲覧室をそれぞれに児島虎次郎ルームや塩月桃甫ルームなどと名付けた。
 作家として著名人との交友も広く、志賀直哉の来宮や、椋鳩十、火野葦平らの講演会が実現したのもこの頃である。
 そして昭和32年9月、そのすぐれた感覚と企画性に富んだ中村地平館長は、多くの人に惜しまれながら辞職した。
 過去にこだわらず「僕にあるものは現在と、明日への情熱」、「人生で僕に興味があるのは、無からなにかを生み出すことと、未完なものを完成すること。」という信念を持ち、本館を全国でも有数の図書館に育て上げ、「これで就任当時公約したことはぜんぶ成し遂げた。もう僕のやることはなにもない。」、これが中村館長の辞任のことばであった。

緑蔭通信(宮崎縣立圖書館報)第10号 昭和27年3月(館長 中村地平)
 花と繪の圖書館
たいていの公共図書館が、暗くおもくるしい空気につつまれている。そんな学生時代の印象から、いぜんぼくは図書館を利用することはめつたになかつた。自分が図書館をひきうけるようになつたとき、最初にぼくがかんがえたのは、館内をあかるく、美しくしたいということであつた。灰色の部屋のなかに陽の光を、かわいた空気のなかにたかい匂いを……。増築がすんだのち、ぼくは各部屋に郷土出身作家の繪をかけ、小学生室に金魚鉢をおいた。講和條約の調印式には、記念のために館員一同が小遣いをさいて、館のぐるりに植木や草花の苗をうえた。すべて、ぼくのそんな理想の実現化の第一歩であつた。
しかし、その程度のことでは満足することができない。不満の気もちをつよくいだいていたが、そんなとき大正画壇に大きな足跡をのこしている児島虎次郎氏の大作7点を本館にあずかることになつた。これらの作品をかかげてみると、讀書室は面目を一新した。虎次郎氏の作品は、さらにちかく10点、倉敷の美術館から本館に転送してもらう約束ができている。これがとどけば、本館はさながら小美術館の観を呈する予想である。かねてぼくは地方の小都市である宮崎市にも美術館がほしいとかんがえているが、すくなくともそんなぼくの夢が実現するまでは、本館をもつて美術館の役わりをはたしてゆきたい。ぼくはそうかんがえているのである。
美術品ばかりではない、讀書につかれた眼には緑の色もほしい。こんどようやく予算を捻出して、1万円ほどの植木を、宮崎大学農学部から買いこむことになつた。かく讀書室の窓辺や机の上に、蘭や櫻草やサボテンなどの鉢をおく。つつましい緑や紅の花かげで、讀書子がしずかに本をひもとく。かんがえただけで、ぼくの胸はあたたまつてくるのである。5月。本館の50周年記念日には、館員一同で醵金して記念樹を植える。白亜の殿堂の玄関さきに、巨きなフェニックスか、あるいはソテツの樹がそそりたつ。まぶしい南國の陽は樹樹の上に降りそそぎ、陽のなかを燕の群が勢よくとびかう。そんなぼくの夢。館の庭に歌碑をたてることも、いぜんからかんがえているのであるが、これはまず予算のメドがついてからのこと、将来の問題になりそうである。夢ははるかに途は遠い。
村社講平氏と中村館長(昭和30年12月)
村社講平氏と中村館長(昭和30年12月)

村社講平氏 1905(明治38)年〜1998(平成10)年
村社講平氏は中村館長とは宮崎中学校(現宮崎大宮高校)時代の同級生であった。 宮崎県立図書館に昭和2年から約6年間勤務後、陸上競技でその素質を認められ、27歳で中央大学に進学。在学中にベルリンオリンピックに陸上代表として出場し、5000、10000mでともに4位と、日本人初の入賞を果たした。
志賀直哉氏来宮
志賀直哉氏来宮

昭和31年10月18日、作家志賀直哉氏は、ご家族同伴で来宮した。旧知の中村館長と久々の対面であった。


「近代図書館活動の幕開け」へ戻る
戻る
「当時の館内」へ進む
進む

100年のあゆみ(年表)図書館の移り変わり総合文化公園と図書館新館建設
近代図書館活動の幕開け自動車文庫やまびこ号の活動臨海文庫・農村文庫・PTA母親文庫
図書館焼失と愛の献本運動現在館の活動と取り組み近未来のITを活用した県立図書館
トップページへもどる
Copyright 2002. Miyazaki Prefectural library All Rights Reserved.