一冊の本が届いた。部厚い大型の本だった。宮崎県教職員互助会編『ふるさと日向の文学碑−拓本と記録−』とあった。
開いてみると、県下の文学碑のほとんどを、写真と拓本と短い文章で紹介した内容の本で、こんなに沢山文学碑があったのかと驚いた。
県下の文学碑を悉皆調査することだけでも大変な仕事なのに、その一基一基を写真に撮り、拓本を取るとなると、到底一人や二人で出来ることではなく集団−しかも知的な集団−の組織がなければ出来そうにない仕事である。
この会には各市町村に教職を退職された会員が居住されており、この会員さん方の知力と労力が組織的に集約されて大成したものだとあり、改めてこの本の重さを感じることであった。
この本の特色は『拓本で残す』という記録の仕方であろう。拓本なら、石碑の筆跡がそのままの味で、実物通り残せる利点があるが、その作業には入念な職人的技術と、したたかな忍耐力で耐えねばならぬ時間がいるらしい。
そこで会では、調査に従事する会員を集めて『拓本の取り方』の実技講座を開き、その道の先達から丁寧な指導をしてもらって、作業に取りかかったという。
石碑を洗い、その乾き具合を見ながら、吟味された紙を糊で貼る。その上を墨を含ませたタンポンで軽く叩きながら墨を打つのだが、石・糊・紙・墨の状態が微妙に一致しないと、拓本は失敗してしまうのだそうな。糊も紫蘭の根(白笈)を会員が根気よく煮詰めて手作りした。
折角貼りつけた紙が風に飛ばされたり、雨に破れたりするから、作業日も制限される。
石碑の水分含有量が拓本の出来不出来に大きく響く。これは、季節や天候にも左右されるし朝昼夕の時刻にまで変化が及ぶから、一瞬も気の抜けぬ作業となる。細かな神経を使いながら何時間もかけて、ようやく出来た苦心の一枚が編集部の厳格な審査で差し戻され、再挑戦を余儀なくされたものも数多かったという。
収録されている作家も多彩である。若山牧水を筆頭に、天皇から、名も無き俳人、戦国大名や松尾芭蕉、ご存命の県内作家、大戦に散った特攻隊員等々、それぞれが歴史を伝えている。
これらの拓本は、撮影と保存のため皺防止の裏打ちがされた。
これは書の国、中国北京文化局に依頼して、高い技能で見事に仕上げて貰ったとのこと。
本県の一団体の真撃な取り組みが、国際協力まで得て、この本を完成させたのである。
いい仕事をして頂いた知的組織集団の皆様に感謝すると共に、県下の全市町村にネットワークを持つこの会の、次の取り組みに期待したい。
また、拓本として取られた墨跡の数々は、死蔵することなく、県民の宝として図書館等に保管して有効な活用をお願いしたいものである。
(宮崎市社会福祉協議会長) |